厳しい指導も要るという場合

昨日(ついさっき)書いた「スパルタは必要か」の記事がひどい。

結論を出せずに半投げやりで終わってしまった。

と小一時間悔やんでいたので、結論を出せる形で書き直すことにしました。

 

「厳しい指導は必要か」の問に対して結論を述べると、「必要な人には必要だし、必要な場合には必要」で、「僕にとってはたまたま必要だった」と思うし、「指導側の保身しかない指導はよくて一時凌ぎにしかならない」と思っている。

 

三人目の「バイト始めたてのころボロカス僕を怒り続けた先輩」の話に絞ります。

 

前提として、僕は最初、全然仕事ができていなかった。

言うこと為すことおっちょこちょいで、とにかく噛むし、お客さんの言葉を聞きとれないこととか、それに対して上手く声を大きくしてほしいとかの要求を上手く出せなかったので、えらく機嫌を損ねたこともあった。

そして単純作業の覚えはかなり悪かった。ここは綺麗にしてくれ、ここは多少雑でも良い、という先輩が教えてくれる線引きをなかなか守る事が出来なかった。

立ち位置が定まらないまま、特に長所もないまま、なんとなく白い目を気にしながら一年を過ごした記憶がある。

 

バイト自体はシフトの融通が利くものの当時の最低賃金ギリギリの仕事だった。

要領が悪く白い目を気にしながら、最低賃金であることを友達に揶揄されながら、毎週多少怯えながら働いていた。

だけれど、そんなバイトでもいつしか非常に快適になり、5年も続けられた。

 

理由はいくつかある。給料が上がったとかもある。

大きいのは、採用してくれた店長が要領の悪い僕によく話しかけてくれたとか、長く続けていると古株の先輩ととても仲良くなれてそれで離れられないとか、良い先輩に出会えたことだと思っている。

けれど僕にとって当時、良くも悪くも最も働くことに影響を与えていたのは、「毎週土日にバイトに入るとほぼ必ずいる、一つ年上の滅茶苦茶に仕事ができる先輩」だった。

 

実は先輩とはほとんど同期でバイトに入ったのだけれど、まず先輩は他の店でバイトの経験があった。以前の店では学生なのに深夜残業同然の時間まで働いて、その上給料が出なかったらしい。つまり先輩のほうが経験がある。

さらに、日曜日を除くほぼ毎日の部活動の僕と、週数回の外部クラブで活動している先輩とではシフトの日数がかなり違う。「同期」という括りで見るなよ、というぐらい経験の差があった。

最初こそ同じく初心者として教育されたが、数か月や一年経つとその差は歴然だった。

そして基本的な担当場所も同じだったため、シフトが同じ時は先輩の子分のような立ち位置で運用されていた。

いよいよ先輩から無茶な指示と怒号が聞こえてくるようになるが、僕は店の誰よりも先輩に最も近い立ち位置で、ほぼ毎回ボロカスに怒られていたのである。

もっと正確に言うと、高校生男子であった僕は、一つ上の高校生女子に、さらに結構スポーツの年季が入っている感じの(比喩でなく本当に当時全国大会とかに行ってた)、文字通りスパルタ系で多少ウェイな、正直怖い先輩と最初の数年を過ごした。

 

一度に4つ以上飛ぶ指示。その指示をこなしている途中に飛んでくる指示。ちょっと確認に行くと結構すごい剣幕でどこで詰まっているか尋ねてくるので油断ができない。

先輩の製作を手伝っていると「もっと早く、詰まってる」と「そこ汚い、綺麗にしないとお客さんに出せない」と「今は急ぐ必要ないからとにかく綺麗に」と、まぁ両立の難しく抽象的な指導が入る。

そして一つでも失敗すると、指示を出した自分ではなく僕が悪い体に必ずする。何度か指示を顧みてくれと思ったことがある。

 

しかしそれを言っている当人はめちゃくちゃ仕事が早く、製作と指示をしつつもう一つ別の人と連絡しつつで仕事ができる人だった。ただの一バイト店員ではあるけれど、間違いなく当時店の運営に大きく貢献していた人だった。

厳しい指導に対して色々言いたいこともあったけれど、言いたいことの内容がこの実績を上回るくらい有意義なものかというと全然そんなことはないし、

それより指導されてもパフォーマンスが悪い自分を顧みろ、と反省せざるを得ない状況だった。

 

正直めちゃくちゃ悔しかった。何を言っても仕事ができる実績とパワーには勝てなかったからだ。

 

だからすごい頑張った。パワハラ寸前のハチャメチャな指示をなんとかこなそうとした。「綺麗にする」はひとまず忙しすぎて無理なので、「誰より早くやる」を要領が悪いなりに頑張った。

綺麗にならないことに対しては二年くらい怒られ続けたが、とにかく早くなった。

当時僕は「店の床を滑る男」と呼ばれていたらしい。1000円の安いローファーで脂ぎった床を駆け回らなければならない。足を挙げて力を入れると帰って滑って危ないので、諦めて意図的に滑ることにした。障害物や人がなければ安全である。馬鹿みたいに早くなった。

早いことに対して怒られることはなかったしむしろ長所と捉えられた。「あいつに任せたらとりあえず一番早い、出来は最低ラインだけど」という評価をもらって、店の中で立ち位置も確保できた。

 

最初の一年とちょっとはそんな感じで忙しい仕事と超厳しい先輩をなんとか凌いで、自分が存在する帯域を確保できた。後の数年で綺麗さを補完して、先輩も引退して、とりあえず自分の配置場所では一番仕事ができるくらいの評価をもらえた。

そう、ストイックな先輩に厳しい指導をされた結果、微妙な人材だった僕でもなんとか居場所を確保できたのだ。

 

後年、当時のことを振り返って「あの子やばかったよね、正直~(僕)が怒られてるの見て"俺だったらやめてる"って思ってたわ」と、他の先輩から何人も何回も言われた。

中には「あの子のこと流石に恨んでるやろ、正直に言っていいよ」と結構真剣に言う人もいた。

傍から見るとブチ厳しい指導で、人に寄ってはパワハラレベルだったらしい。正直僕もそう思う。

 

そう思うけれど、よく考えてみれば、例えば「店にとって荷物だ」とか「仕事の邪魔だから来ないで」とか「嫌いだ」とかまでは絶対に言わなかった。

いやそれは当然だろ、と思われるかもしれないけれど、そこまで言っていてもおかしくないくらいの印象が刻まれている。オーラがすごい。

「もっとしっかりして」とか「今は~するときじゃないでしょ」とか、時々理不尽な主張は飛んできたけれど、決して僕の尊厳をそのまま傷つけるような言葉はかけなかった。

僕は結果として先輩を全くと言っていいほど恨んでないし、人間としてちょっとなあと思う部分は多少あったけれど、その部分を上回るほど尊敬する部分が多かったのだ。

 

「仕事ができなくて店での居場所がない自分」にとって、「人格が多少ヤバいけど仕事が死ぬほどできてなんだかんだ重宝されてるパワーキャラな先輩」は正直すっごく魅力的だった。

だって分かりやすく"強い"し。

背中を見る対象として、あとを追う対象として、僕にとってこれ以上の最適はない。

本当の意味でのパワハラはなかったし、実力がリアルタイムで目に見えるし、そうしながら(仕事上必要であったとはいえ)僕を指導してくれたのである。

本当に本当に、僕も他の先輩も誰もが認めるほど「厳しい」人だったけれど、僕にとって必要な一ピースだった。

理不尽な指示と的確で素早い仕事、前者を批判したいという気持ちと、そのために後者に勝たないといけないという気持ちが、僕の中で上手くバランスしてくれたのだ。

 

 

この話は結局、他の先輩が言う「正直恨んでるだろ」に対してのアンサーでしかない。

あくまで"僕は"あの指導が必要だったと思います、という話でしかない。

万人に共通に、厳しい指導が必要かと言われるとそうではないと思う。

僕は第三者から見て「仕事のできない人」だったからそれを改善するために指導が必要で、その指導が上手く僕とマッチしていたのだけれど、

まず「仕事がそこまでできる人にならなくてもいい」場合もあるし、

「過去にパワハラの被害に合ってトラウマの気がある」人に対してそんな酷いことはしないでって思う。

あとただのサボり症の人を怒鳴りつけてもそこまで効果はないと思う。

部活動で鍛えられていたドが付くマゾの鍛え方をする僕に対して、スパルタ教育法が非常にあっていたというだけの話である。

 

万人に共通するかどうかはわからないけど、スパルタ教育法の個人的に思う利点をいくつかまとめて終わりにしたいと思います。

①:体育会系のドMに利く (そうじゃない効率派で頭の良い人には逆効果の場合もある)

②:指導者が何かしら強みを持っていると、指導そのものにカリスマ性が生まれる

③:「あの人の厳しい指導を耐え抜き強くなった」と対象に思わせることができる

 

 

 

引きこもって音楽なんて作っている僕だけれど、

なんだかんだ昭和的な「努力して能力を勝ち取った」系のステレオタイプな思考に弱いんだなぁ、と思いました。

人間頑張るときは本当に頑張らないといけないと思う。その環境が自分の尊厳や価値観を傷つけないものならば、必死になってしがみついてもいいと思う。

しがみつく対象となる人と出会えてよかったと思う。