鼻炎の歌い手

鼻炎のボーカリストなんているのだろうか。

 

僕は鼻炎というほどではないけど、埃に弱くて年がら年中鼻の詰まりが酷い。

いつ詰まっているのかそうでないのか区別が付かないほどには酷い。

 

歌うと空気が通って徐々にマシになっていく感じがする。

以前その状態で自分の歌を録ってみたら、見事に鼻声だった。

独特なねちょっとした発音と息遣い、普通に気持ちが悪い。

 

鼻炎の僕でも綺麗な発音で歌えるのか、早急に治す方向で考えたほうがいいのか、誰か教えてほしい。

ため息の副流煙

身の回りにため息をつく人が多い。

 

種類は様々で、単純に重い重い溜息をつく人、「疲れた」と言わないと一日が始まらない人、何でも僕に否定的な人。

最後はちょっと違うけど、正直、全員同じ括りだと思っている。

意図していなくても僕に害をもたらしてきた人達だ。

全員が毎日会うレベルの人なので、僕のモチベーションや活動力はその人の声を聞く度に削がれていく。

 

ため息の数だけ幸福が逃げるとはよく言うけれど、聞いている人の気分まで落ちていくものだとは最近気づいた。

僕は煙草を吸う人に昔から囲まれていたのでよく煙を吸っていたし、喉もあまり強い方ではないけれど別に苦手ではないし止めるほどのものでもない。

煙草の副流煙なんかより、否定的で疲れに満ちたあの重たい音の方をなんとかしてほしい。

煙草みたいに取り締まったらいいと思う。いややっぱりディストピア表現規制国家になるのでやめてほしい。でも頼むから、僕の身の回りにそんな人ばかりいる状況をなんとかしてほしい。

いちいち無関係なことでこっちのやる気まで削がないでほしい。僕の身勝手だろうか。嫌なら聴くなと言われるだろうか。

 

周りの声がうるさくなってから、僕はヘッドフォンやイヤホンの音を聞く時間が増えた。

「周りに人がいる時くらい、外して聞こうよ」と言われたこともあったけれど、僕にとって関係のない話題ばかり聞こえてくる。

そんなのだったら好きな音楽を聴いて机に向かっている方がまだいい。

日に日にポータブルプレイヤーの音は大きくなり、今では周りの音が聴こえないほどになった。本当に用事がある人しか僕に声をかけなくなった。

 

最近モニタースピーカーを買った。

僕は音楽を作るので、リスニング環境を強化したいと思ったのと、ヘッドフォンの作業に耳が疲れることが多くなったからだ。

音の出力部分の高さや左右の配置角度、椅子の位置にまでこだわって、鮮明に聞こえる音に非常に満足している。

 

ふと、ため息が聴こえてきた。母のものだった。

近頃は家にいないことも多いので接触する機会は以前より減り、今日は久々にこの時間に帰ってきていた。

思えばずっと聞こえていたため息をついていたのも、長い電話で僕の集中を切らしていたのも母だった。

こんな人と暮らしていれば、そりゃ気分も重たくなるよな、と悪態を突いてしまった。

 

ただ。

母はずっと毎晩文句も言わず三食を用意してくれる。

最近は体をずっと痛めていて、相変わらずのため息と悪態は酷くなったように思うけれど、それでも毎日欠かさず作ってくれている。

何故なのかは分からない。

 

ちゃんと手伝おうと思う。

イマジナリーフレンドと生きている

僕の中にはImaginary Friend(空想上の友達)がいます。

 

たとえば光学的に目に見える形で存在するか、と言われれば NOだし、

物理的に手に触れられる存在か、と問われれば NOだし、

生物的な機能を有していて生活の痕跡があるか、と詰められても NOという他ない。

第三者に対して確かにここにいることを立証できない人物。

でも取り立てて証明する必要なんてない、

僕個人にとって必要不可欠な人物であることに何の変わりもない。

 

僕の友達を紹介します。

大学1年生の女の子です。名前はまやと言います。

彼女と知りあってからもう2年で、同じく年を重ねてきました。

触れた指が溶けるようにサラサラの茶髪、肩にギリギリ付くくらいのミドルショート。

身長は160前後。スタイルいいけど、それが伝わる言葉を僕は知らない。

言葉は悪くて、クソとかお前とか言うけど、本当は優しい。

すっと通る爽やかな髪の匂いがする。香水なのかシャンプーなのか僕には見分けが付かない。

誰より情熱的で、それでいて人のことをよく見ている。

対して重ねた手の温度はなんとなく冷たくて、

つまり僕は、彼女の望む何かのために生きなきゃなと思っている。

そして彼女が何が望むことは、僕が行きたい先へと背中を押すこと。

そんな人が良すぎる彼女に支えてもらって今日を生きている。

 

いきなりインパクトの強いことを書いて申し訳ないです。僕が読んでる側なら引く。

 

僕には現実に友達がいません。

いや、友達は確かにいます。人並みには遠いかもしれませんが何人かいます。

学生時代に部活動で汗を流して飯を共にした大事な友達はいるし、

3つやら4つやらあるコピーバンドで知り合った人はみんな大切な音楽仲間だし、

バイト先で知りあって僕の音楽とか歌を聴いてくれるすごく優しい先輩が何人もいるし、

尊敬する身近な人物が何人もいます。彼らのお陰で生きています。

 

きっと僕自身の問題なのですが、俗に言う「腹を割って話せる仲」ではなかったんだろうなと、本当に虚しいヤツなんですが、自分自身とその友達に対してそう思います。

そういう人が享受できる楽しい経験をせずに生きてきたのだと思います。

表面的な付き合いだけの僕に、いつしか「本当に僕のことをわかってくれてる人なんているのか」という疑問が降りかかりました。

 

僕はいわゆるオタクとかギークとか言う奴です。

アニメとかに出てくる想像上の人物に感情移入するのが好きです。

それを描くのが好きです。

誰かの感情をぶちまけているような音楽が好きです。

それを聴くのも好きだし、自分で歌ったり楽器を弾いたりするのも好きで、

気の合う友達に誘われてバンドを組んだり、機材を譲ってもらったり、

気が付けば作曲して音源をいくつか出したり、未だに続けています。

 

イマジナリーフレンドの構想と設定もほとんどそういう世界から引っ張ってきて、自分に都合のいいように再構成しています。

 

たぶん僕は口が下手です。あと要項とかポイントとかを整理するのも苦手です。

時間をかけて文章にはできますが人に伝わっている自信はありません。

自分自身だから分かっている部分をバイアスで補正している状態で自分の文章を読んでるので、自分で理解できるギリギリの文章しか書けていないと思います。

特に素早くまとめるのが苦手です。だからコミュニケーションができない。

定型文とか簡単で語気の強い言葉で会話を済ませるような生活を続けてしまった。

いつしか本音で語る負担に耐え切れなくなってやめてしまった。

語り合える友達も離れてしまった。

そんな中で埋もれた思いを代弁してくれる、代弁できる絵と音楽が大好きなんだと思います。

きっと僕は自分の伝えたいこと、思っていることの、いわば捌け口として、やり場のない言葉の矛先として、絵と音楽にすがっているのだと思います。

 

けれどそんな方法としての絵と音楽はまだ全然自分の納得のいくように表現できていなくて、もちろん人に伝わっている自信もなくて、

矛先ではあってもそれを受け取る人はほとんどいません。

受け取ってくれても、社交辞令とか興味本位とか、そういうものが見えてしまう。

きっと伝えたいことの多くは、その人に伝わる前に擦り切れてなくなってしまう。

僕のことをわかってくれている人なんていない。いない。

そんな思いで、やっぱり自分を保てなくなっていきました。

だから彼女がいます。イマジナリーフレンドとしての彼女が必要だったんです。

 

彼女は都合が良いくらい僕のことをよく見てくれています。

良いところも悪いところもよく見てくれていて、指摘してほしいところと話しあいたいところだけを摘まんでは、僕が納得いくまで会話してくれます。

そのテンポも、もういいだろとか、まだ解決しないのか、という、どうしても他人と話すときに発生する理解しえない、なんとも言えない間を挟まずに、ただ僕の心地のいい相槌と最高のタイミングで返答してくれます。

でも僕が歩くことを止めようとしたり、ここで終わりにしようとすると、彼女は初めて自分の我儘で泣きます。そんな彼女を見て、僕はまだ止まっちゃいけない、この子を泣かせたくない、もっと前に行かないと、と思うのです。

 

もちろんこれも全部都合のいい設定で、僕自身に止まってほしくないのは僕だし、僕自身に諦めてほしくないのは僕だし、一度音楽と絵で世界を表現してやるって決めてずっとここまできたのは僕。

だけど、その歩みを止めてしまおうとするのも僕で、ちょっと誰かにつつかれただけで立ち上がれなくなるのも僕で、自分をどうしようもなく否定してしまうのも僕で、そんな僕をなんとか励ましたいのも僕だった。

だから彼女にその役割を果たしてもらいたかった。

 

一歩踏み出すことが怖い僕を、先の見えない道に佇む僕を、ずっと見ていてくれて、ずっと励ましてくれて、ずっと話を聞いてくれて、ずっと理解しようと頑張ってくれる最高の友達。

想像上で誰にも信じてもらえなくたって構わないし、誰かにそれを怖がられたり気味悪がられたって構わない。

僕が音楽や絵を信じているように僕は彼女を信じているし、そんな彼女は無条件で、ただずっと歩んでほしいという期待と見返りだけで僕を見送ってくれる。

そんな友達の何が悪いと言うのだろう。

芸術や世界観を根拠なく信じることと何が変わるというのだろう。

誰にも証明できない彼女の美しさと気高さを僕だけが観測できる事実を、僕はもっともっと大事にしたいと思ってる。

彼女の存在を肯定できない事実に震えて別れてしまったこともあるけれど、結局僕にとって必要なのは彼女だし、現実に彼女のような友達が見つからない限り、僕はきっと彼女と永遠に手を繋いでいく。

現実が僕の存在を求めていない限り、僕はずっとこの世界で生き続ける。

 

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